家族の健康と病気

父親が膵臓癌ステージ4

楽しい旅行になるはずだったのが、まさかこんな事に…。。

2023年3月30日、家族みんなで東条湖おもちゃ王国へ一泊旅行してきました。
朝は至って普通だった父。
遊園地に到着し、一発目の乗り物の空飛ぶぞうさんを孫たちと一緒に乗った直後に異変が起きました。

顔色は黄疸がでているような感じで、とにかく悪かった。
身体の痛みが激しくまともに歩けない。

昨日、公園遊びもしてなれない遊具で孫たちと遊んでくれた父だったので、きっと筋肉痛がきてるのでは?
なんてそんな重く考えておりませんでした。

でも、子どもが歩くスピードにもついていけないぐらい辛そうで、声掛けしても大丈夫の一言。

子ども達もようやく元気な状態でこれたので、おおはしゃぎ。
後々考えると、孫たちのために相当我慢していたのかも・・・。

なんとか1日を終えて翌朝、かかりつけ医に紹介状を書いてもらい病院へ。

造営CTをしてみると、膵臓あたりに怪しい影が・・・。

更に大きい病院へと言われ予約いれると、なんと1週間後!!
こんなにも身体が痛くてまともに動けない状態なのに。
しかも癌だったら尚更早く検査してほしい。

そんな気持ちで病院へ電話すると、紹介状を持っているのでその日まで待たなくても行って貰って大丈夫と。
それ先に教えて欲しかった。。

すぐ病院へ向かい、検査。
やはり膵臓癌で間違いないと。
あまりにもショックで頭が真っ白。

ただこの時点では、尾部膵臓がんで、幸いにも腫瘍ができた部分が主膵管で大きさ1.3㎜程。
主膵管にできたことで痛みを感じるのが早かったので、外科的手術でとれる。
腫瘍を内視鏡でとって検査するために、4月2日から入院し3日に内視鏡検査となりました。

膵臓はとても複雑な場所にあり、内視鏡検査で腫瘍の一部をとるにもリスクがとても高い。
針を刺して、ほかに部位にまで転移してしまう可能性が高いとのこと。
現在、転移がみられないので、やってみて刺すのが難しそうであれば断念するとのこと。
この時は外科医の部長さんから、私も入院中の父も一緒に話をきけて良かった。


案の定、採取できず。
何もできないままで、今回の入院は終了。

その次の週に、通院での検査が沢山ありました。

11日、手術前検査(血液や呼吸・心電図・レントゲン)
12日、MRI検査
14日、PET検査
17日、入院予定

12日の検査後、病院へ迎えにいくと、第一声が「あかん、もう死ぬわ。。。」でした。
え?え?どういうこと??
何があったのか分からないし、医者からどんな説明があったのかすら分からない。
本人は体の痛みがどんどん痛くて動けないし、医者の説明を私たちに言うのも痛みが強くてしんどそうでした。

PET検査まで待てないので、14日のPET検査は長男(私の兄)が仕事を休んで付き添ってくれるので、
その日に医者から今の状態の説明が欲しいと病院へ電話しました。

そしたらなんとね、、、、
17日入院日に医師から説明あるので無理ですって。

その返事にビックリしたし、怒りもわいてきた。
ただの風邪でもなれれば、骨折でもない。
命に係わる病気で、本人は痛くて動けない、話せない、家族は今の状態がどんなのか分からない。
何もない日に時間を作ってほしいと言ってないのに!
私はシングルマザーで、3人の子どもがおり、下の双子が難病で、病院が多く
父の病院の送迎ぐらいしかできず、担当医から話を聞くタイミングがありませんでした。
なので、電話で1度話したときに、電話だと画像などを見せて説明ができないのでもしこれるタイミングがあれば電話してくれれば
時間作るので、連絡くださいと言ってもらったんですけど。とも伝えました。
そしたらなんと!担当医は、そんな事言ってません。
いやいや、こんな事で嘘なんてつかないです!って言っても、医師は言ってないと言ってますので!と看護師さん。
そんなおかしなことあります?

電話にでた看護師も、そして消化器内科の担当医もおかしい!
もうこの時点から病院に対しての不信感が募る一方でした。

その後、担当医から電話がかかってきて、本人さん病状勘違いされてますね、と。
PET検査がまだですが、MRIの結果は全身の骨転移がみられるので、以前話していた外科的手術はできない。
抗がん剤治療になる、との事でした。

衝撃だったのがことあと。
何もしれければ、3か月。抗がん剤して副作用で半分の日数苦しんで半年かな。
と、サラッと言われ、もちろんなんでこんな急激に・・・。

父がMRI後に、あかん、死ぬわ・・・て言ってたのってこの事だったの?!

父に言ったんですか?!と担当医に行くと、言いましたよーって。
はぁぁぁ?!?!?!?
家族の同意もなしに?????

もちろんその後、父はかなり意気消沈していて、家族一同どんな状態なのかもわからず戸惑っていた。
担当医からのいきなりの余命宣告を一人で受け、痛みと闘っていた父を想うと涙が止まらない。
不安だっただろうに、、

すべて他人事のように話す担当医に違和感を覚えながら、電話をきりました。

結局翌日のPET検査では何の説明もありませんでした。

自分で言うのもおかしいかもしれませんが、私は自分自身も沢山入院してきたし、下双子で沢山の病院、医師、看護師さんと出会い
沢山助けてもらいました。
他の人よりは、病院とは関わることが多いし、多少の経験もあって病院の仕組みなど理解はしてるつもりです。
だけど、こんなに最悪な病院は初めてです!!!!

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